第十六話 … ナホの五人の子供たち Ⅵ
ナホの五人の子供達の中で、四女の智恵子と、最後にできた長男で、私の父の英樹の、この二人が、三人の姉達とその家族の方たちには、たいへんな迷惑をかけ通してきました。そしてまた、その迷惑をかけた当の二人は、足早にこの世を去ってしまいました。 三人の姉達には、妹や弟のことということで、仕方がないという想いもあったかも知れませんが、それぞれの主人や、子供達に対しては、二人のことで迷惑をかけてすまないという悔いは、二人が亡くなってからも、拭えない傷として残っていたのです。 身内に、共産党員がいるというだけではなく、特高に家まで見張られる経験までしていたら、家人にはただ詫びるだけしかありません。思想的にも異なっていた長女のミヨの家では、主人の社会的な立場を考え、離れた立場を取らざるを得ませんでした。義兄の石川と英樹とは、話題の接点もなく、二人が顔を合わせれば、いつも言い合いになっていたという、確かな証言も残されています。 ましてや、弟の英樹と同年の長女をもつ、次女の孝は、東京も同じ区内で生活をしていれば、噂もたちやすく、肩身の狭さも想像できるというものです。そのことは、孝の娘達も同じこと、赤の伯父を持つことの悲哀は、肌身に染みていたに違いないのです。 長女のミヨ、次女の孝、そして今回は、足利に生まれて、足利の地に還った、三女の泰について語らせていただききたいと思っていましたが、それは遠慮させていただきます。今般『血をわたる』を書くにあたり、快く協力をしてもらい、私の父や母の思い出を、詳しく聞かせてくれたのが、泰の遺した子供達でもあったのです。その家には、特高に追われた英樹が、血だらけで逃げ込んでもいたのです。 杉本良吉が、ロシアに脱国する際に、下調べに北海道に向かう途中で、ナホが緊張のため体調を崩して、小山から途中下車をして、泰の家に夜中に駆け込み世話にもなっていたのです。私が、父や智恵子の昔を偲ぶことは、時に関係した方々に、思い出したくもない過去を、思い返させてしまうことでもあるのです。気をつけて、筆を進めているつもりではあっても、知らずに迷惑をかけているかも知れません。ましてや、足利という地で生活していたとあれば、ミヨや孝の遺族達とは、異なった感慨があって当然のことでしょう。 ということもあり、次話からは、岡田嘉子に主人を奪い取られた、杉山智恵子について語らせていただきたいと思います。繰り返すまでもなく、かつては、「赤」は禁句だったのです、 ( 写真 … 当時の両毛線・足利駅)
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