第一話 … 始めにあたって
今、私は、生きる不思議を感じながら、『私のノートから』のための、筆を取り始めました。ことのきっかけになったのは、昨年の二月と十一月に、私が考えてもいなかった、個人的な二つの経験をさせてもらったことです。 この私事に加え、昨年の三月には、想定外と繰り返された、東日本の大地震がおきて、津波による大災害と原発事故という、難業に遭遇しました。 国難にあたっては、何代にもわたり苦難を乗り越えてきた、この国の現在を築いた先人達の過去を信じて、私の個人的なことの経緯を、年を越えて、順を追い整理しているところです。 それには先ず何より、昨年の十一月二日・三日に開催された、足利高等学校創設九十周年記念式典にあわせて、「檀一雄・杉山英樹生誕百年記念展」を開催してくださった、多くの関係者の皆様に、この紙面をお借りして、厚く御礼を申し上げます。 また、主催された足利高等学校同窓会。後援をいただいた、足利市民文化財団・足利文化協会・足利文林会・下野新聞社・両毛新聞社。そして開催のためにご尽力いただいた、足利高等学校のOBの皆様方には、深く感謝いたしております。 私の実父・杉山英樹は、旧制足利中学校を昭和四年に卒業しました。足利で生まれ、三十五歳で世を去りましたが、今も足利の猿田にある徳蔵寺に眠っております。その父が通った柳原小学校(現・けやき小学校)の時から、旧制中学校にかけての同級生の一人に、檀一雄さんがいたのです。昨年、英樹の誕生日を迎えるにあたり、この二人の生誕百年を記念していただきました。 順序は逆になりましたが、昨年の二月の中旬、私の著による『血をわたる』が、『現代用語の基礎知識』や『流行語大賞』を手がけている自由国民社から出版され、三月には日本図書館協会の選定図書に認定されました。 今は絶えてしまった猿田(旧やえんだ)の杉山の家と、三十半ばで五冊の著書を残して早世した、足利という地に生を受け、風土に育まれてきた、杉山英樹という男の生き様を、親の倍近くも生きてきた私が、時代を超えて見つめ直せたらと書いたものです。 私には六十七にもなって、初めて本を出すことすら信じられないことでしたが、さらに思いもかけないことに、十一月には実父の生誕百年の記念展まで開催していただいたのです。繰り返しますが、人の、生きる不思議さを、あらためて強く感じております。
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